岩崎農園のHPをのぞいてくださり、ありがとうございます。
このHPの管理者の岩崎 南恵(いわさきなみえ)と申します。
わたしは岩崎家の次女として育ち、高卒で会社員になりました。会社員を10年ほどしておりましたが、この度退職し就農しました。
両親が30年以上続けてきた農業を、ここ『晴れの国岡山』で、両親と共に楽しく継続させていこうと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。
2016年9月
家族3人での農業経営を開始しました
岩崎農園は、元々両親2人だけでバラを栽培していました。しばらくは一部のバラをぬきとり、そこにぶどうの苗を植え、ぶどうの苗を育てながらバラを栽培していましたが2016年度からぶどう栽培のみになっています。2016年8月にわたしが働いていた会社を退職し、これからは両親と共に3人でぶどうを栽培していきます。
葡萄の木は、苗を植えてから4年目以上にならないと収量がほとんどありません。一部の木が今年5年目となり、バラ栽培をやめてぶどう栽培へ完全移行しました。
木が育ち、両親2人だけで栽培していくのが難しい状況となってきたので、わたしは退職を決意しました。
貯金もほとんどない状態のままの退職は正直無謀でした。わたしが会社に勤めているまま、他の誰かを雇って働いてもらうことも可能です。
でも、せっかく両親が続けてきた農業という仕事を、もっとそばで支えていきたいという気持ちが強くなり、就農を決意しました。昨年母が脳梗塞で倒れてしまったのも、決意を固める大きな要素になったのかもしれません。
バラ農家からぶどう農家への転向
バラ農家として30年ほど農業をしてきた両親が、ここ数年で栽培作物をバラからぶどうへと変更しました。ぶどうに変更する時に、母が「一生バラを栽培して生きていくと思っていた」と言っていて、少しさみしい気持ちにもなりました。
バラは加温をしないと1年中出荷することができません。加温をするのに必要不可欠なのは、ハウスとハウス加温機。
ハウス加温機は寒い冬でも春のような暖かさを与えてあげるための、農業用の暖房器具です。
ハウス加温機を動かすためには電気と重油を使います。数年前に重油が高騰し始め、岩崎家だけでなく、たくさんのバラ農家さんがかなり影響を受けました。
「このままバラを栽培していても、赤字が続いてやっていけなくなってしまう」
両親がそう考え始めたとき、吉備中央町の気候にとても適しているぶどう栽培に目を向けました。
わたしは8月後半から有給消化に入り、両親の作業を手伝い始めました。農家の娘として生まれたけれど、今までほとんど農業に関わってきてないので最初はかなり不安でした。
でも、やりたい。やらなきゃいけない。
今年は天候に恵まれたのか8月末にはピオーネの糖度が出荷可能な糖度まで上がり、収穫期へと入りました。
わたしにしかできないこともこつこつと
ぶどうに貼ってあるラベルシール、気にして見たことはありますか?わたしは直売所でぶどうがたくさん並んでるのを見て、どれもこれも同じシールでこのシールを使わないといけないというルールがあるのかと思ってましたが、父に聞くと品種が分かるようにするためのシールだからなんでもいいと言われました。どうせ直売所でたくさんのぶどうが並ぶなら、みんなと同じラベルシールよりオリジナルのほうが絶対いい!少しでも何か違うものにしたい!という、わたしの両親への押し付けではじまりました。
そうは言っても何もわからない状態なので、とりあえずラベル用紙を探すところから始めて、四角のラベルにするか丸いラベルにするかで悩んだ結果、デザインしやすそうな丸型ラベルで試作を開始しました。
四角ラベルよりも丸型ラベルのほうが値段も高く、それに加えてインク代がかかるので丸型ラベルを自分で作るよりお店で買う方がコストは下げられるのですが、自分でデザインできること・他の農家さんはあまりしていないことを岩崎農園としての売りにしていきたいと思い、始めました。
ラベルシール自体に品種と産地と岩崎農園という名前が入れれること。お店で買うシールにはない、手作り感。毎年毎年きれいなシールに変身させていこうと思います。
このラベルシールで売上につながっているのかというのはまだまだわかりません。でも、友達が直売所に足を運んでくれて買う時には「このラベルシールがあるからわかりやすい」とは言ってくれています。
小さなことからこつこつと。2016年わたしの農業人生がスタートしました。
周りの方々と支え合いながら、地域全体で楽しく農業が続けていけたら、と思っています。